美と平和

狭い範囲の平和を目指すブログ

戦い

「戦い、争いは何も生み出しはしない…」

 

先生や上司に成績を叱咤された時、髪をなびかせながらほんの少し淋しそうにそう呟く…そんな自分を脳内に思い浮かべる人は多いと思います。

…多いよね?

 

勝つ人がいるなら当然負ける人がいる。全体で見るとプラマイゼロですね、確かに。

争いはないに越したことはないのは確かです。戦争の傷跡はあまりにも悲惨で目を覆うばかりです。

覆うばかりですが私が目指しているのは個人レベルの平和なので、ひとまずそのまま覆っておきましょう。

 

スケールの小さいレベルですと

「出世する為にあいつを蹴落とさなければ」

「彼を手に入れる為にあの女より魅力的になってやる」

「推薦を取る為に順位を上げないと」

「己の欲望に打ち勝たなければ次こそ女房に殺されてしまう」

「お兄ちゃんのハンバーグの方が心なしか大きく見える…許せない」

「私より若い…許せない」

いくらでも出てきますね。他人から見ると凄くどうでもいい事ですが、本人にとっては死活問題です。

 

こうして見ると人間は常にと言って良いほど、いつも何かと戦っている生き物に思えますね。

 

そしてある日、私は気付いてしまったのです。(いや、皆さんとっくにお気付きかもしれませんが)

「争いはやめて平和になろう」とは言うものの、争いが起きるそもそもの原因…

それは「私や私の大事な人達が安心して平和に暮らせるように」という願いを個々が持っているからだったんだよ!

 

「ナ、ナンダッテー!」

 

(ネタがわからない人はMMRでグーグル先生に聞いてね。)

何というジレンマでしょう。平和を求めた結果、争いを生み出してしまっただなんて!

 

これは先程覆って放置していた戦争にも当てはまります。

誰だって自国の土地や経済、安全が脅かされるのは嫌ですよね。自国で好き勝手する輩に「ど〜ぞど〜ぞw 」と言える人はまずいません。

逆に今より更に潤った生活をと望んでしまうのも人間の性です。将来が不安だと尚更ですよね。

 

結局人は常に安心を求めているのです。

 

わざわざケンカしに行くその…何ていうか…特殊な感性?のお兄さん?とか危険にあえて飛び込むエキセントリックな方達も同様です。

「強い自分」「怖いもの知らずな自分」という理想の自分を実感すると安心できるのです。

 

「平和を求めると争いを生み出してしまう!ならどうすればいいの!?私が我慢すればいいの!?欲を捨てて石のように生きれば…みんなが幸せに…なれる…」

 

なれないので戻ってきてください。

 

人間は基本戦う生き物です。(無責任に断言)

相手がいなくなったら自分と戦いはじめます。(禁欲や過剰な筋トレ、限界への挑戦など)

争いごとが嫌いな人も自分を攻撃したりします。(自責、我慢の強要など)

良し悪し関係なく戦っています。

 

だから気にしないことです。

気にしようが気にしまいが、どうせ何かと戦いだします。

 

カッとなって口論になろうが我慢して自分を抑え込もうが、捉え方を変えて自分を乗り越えようが。

 

つい口論になってしまったと罪悪感に悩まされたなら「危なかった…あの時自分の心を守らなければどうなっていたか…危なかった」とハアハアしてもいいですし、つい我慢して後になって怒りが込み上げてきてツラければ「お前を嫌われ者にするわけにはいかない!だって…お前のことが誰より…大事だから…さ」と鏡の中の自分とそっと手を合わせてもいいですし。

 

もう何が言いたいのかわからなくなってきましたが、平和に囚われなくなった時…

その時にこそ真の平和が訪れるのかもしれません。

 

綺麗にまとまりましたね。

 

ちなみに…世間様が北からのミサイルによる不安と戦っている頃、何も知らない私は筋トレと有酸素運動にあけくれ己と戦っておりました。

 

今日は筋肉痛と戦っております。